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HOMEパール判決書の記事
2009-04-05-Sun 08:43:38 │EDIT

みなさんこんにちは^^

今日も早速パール判決書行って見ましょうかね。と、その前に、、、

今どんくらい進んだのでしょう?w

けっこーやったよね?ね?





そんでこんな感じ↓









えーっと、、、この挟んである真ん中ですw



・・・・・



全然進んでねーーーー!!!wwwww







予備的法律問題 (H)侵略戦争-犯罪であるか
 (5)その他の理由によって犯罪とされたか
  (ロ)国際法は進歩する制度であるから




さてさて、、、



前回はというと、少なくとも第二次世界大戦勃発時にはまだ侵略戦争を犯罪だとすることは出来ない、というところを確認したわけです。

それはもう今までも何度も取り上げてきたので十分お分かりいただけたと思います。

はい、その理由を答えなさいw

と言われてドキっとしないようにw



ざっくり言えば「これから侵略しますw」と言って戦争開始しない限り、侵略戦争とはならないからです。それが当時の(実は今もあまり変わってない)国際法の限界だったわけです。



そこでお題になっている「国際法は進歩する制度であるから」です。

まだ国際法は発展途上にあるわけで、新しい事態に新しい法を作り適用していくべきだろう、という論理が考えられるわけですね。

つまり、今回の件でいうと、

侵略戦争を犯罪だとする国際法はなかった、だから新たにその法律を作ってその首謀者を裁けばよい

ということですね。

この理屈、現代の日本にも多くあるんです。その後の国際社会のために東京裁判が必要だった説です。なんだかもっともらしい理屈ですがパール判事は、、、

国家に犯罪性のあることをいっそうはっきりさせるために、現存の法を曲げてまで国家の行為に対する刑事上の責任を、その行為をなした個人に負わせようとしなくても、未来の展望はいささかも影響を受けるものではない

と、バッサリ切り捨てます。

このお題はこれにて終了、、、でもいい気がしますwが、ハショらないでいきましょう^^;

その前に、、、

上の文章の「国家の行為に対する刑事上の責任を、その行為をなした個人に負わせ・・・」というところ、いささか複雑な言い回しな気がします。

最近、論壇村で「パール判決書は日本無罪論なのか否か」という議論がありました。否、という人の意見では、東京裁判はあくまで戦犯個人に対する裁判なのであってパール判事は被告全員無罪と主張したが日本が無罪だと言ったわけではない、と主張しました。

ここについて、まだ最後まで読んでないから結論は出せませんが、ひとまずパール判事はここで「日本国」と「被告」を明確に切り離して考察している、ということだけは覚えておいたほうがよさそうです。




で、話を戻しましょう。



バッサリ切り捨てたのはなぜかというところなんですが、それは当時の国際社会というものがどういった成立過程を経ているか、そこが重要になるわけです。

われわれが国際法というものを求める場合、われわれは各国家社会のような完全に法の支配下に置かれた存在を取り扱っているであろうか。それともまた形成の途上にある未完成の社会を取り扱っているのであろうか。否、われわれが取り扱っているのは、関係当事者が全員一致のもとに合意に達した規則だけが、法の地位を占めるに至った社会である

おわかりでしょうか。当時の国際社会というものは、悪い見方でいえば「自己中心的な国家群」によって構成されているため、それらを束ねるための国際法の形成には全員一致の原則が必要、なわけです。

もし国際連盟が国際法の支配下にあるというのであれば、国際連盟とは別にそれよりも上位の国際法団体が必要であるわけです。

新しく作られた先例は、平和を愛好し法を遵守する国際団体の各構成員を保護するほうとはならず、かえって将来の戦勝国に有利であり将来の戦敗国に不利な先例となるに過ぎないであろう

正にそのとおりでしょう。日本ではよく「勝てば官軍」と言う人がいますが、うちが、もとい会津人が一番嫌いな言葉です。

疑わしい法理論を誤って適用すれば、必ず、渇望の的たる国際社会の形成そのものに脅威を与え、将来の国際社会の基礎そのものを動揺させる事になるであろう

「勝てば官軍」なんてものを本気で認めてしまうとですね、逆に勝つためには何だってやっちゃうぜってことになっちゃうわけですよ。

国際社会の秩序を保つためにどんな手段を用いても戦争に勝つ!

こんなのが国際法だったら暗黒社会です。




とまぁ、こんな感じで納得いただけたのではないでしょうか。



実はまだ続きがありまして、パール判事の個人的な主張が載っているんですが、そこはあくまでパール氏個人の主張なのでひとまず割愛。全部読み終わらないと多分パール氏個人の主張は理解出来ないと思われるので。

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2009-03-22-Sun 08:37:54 │EDIT

みなさんこんにちは^^

日曜朝はアタマをフル回転でいきましょう。以下を読む前にこーしーに砂糖をたっぷり入れて飲んでおくとよろしいようですw

今日のパール判決書は予備的法律問題(H)の(5)の(ロ)のその2ですw





予備的法律問題 (H)侵略戦争-犯罪であるか
 (5)その他の理由によって犯罪とされたか
  (ロ)国際法は進歩する制度であるから




さてさて、前回の(ロ)その1では、ベルサイユ条約には戦争を犯罪とするという条文はなかったこと、敗戦国民をただ負けたからということで裁くのでは法律の存在意義がなくなってしまうこと、こういうことをパール判事はおっしゃっておりましたね。



それで、今回は、グリュッグ博士という人の主張について考察していきます。

このグリュッグ博士の主張は、文明諸国の生活においていまや国際慣習は侵略戦争が国際的犯罪であるとするほどに発展を遂げたものと解すべき時期が到来した、というものです。

そして続けて、この種の問題は盲目的な法的概念論にもとづいて処理すべきものではなく、その解決がどのような論理的結果、ならびに実際的結果を生ずるかに照らして現実的に処理すべきものである、と主張しました。

こう聞くと、前回批判したお歴々が元気になりそうですw

結果的に侵略戦争が禁止され世界が平和になったんだからいいじゃないか!とw



この問題に対してパール判事は、

本官の見解では、国際社会はこれらの学者たちが考察したような結果が生じうる段階にはまだ到達していない

国際連盟の結成された後でさえ、主権をそのままに維持する、同意的国家群があったに過ぎない


と反論しております。そして、

国際連盟以上の高位にある国際法団体は生まれなかったのである。連盟は国家主権に対して特に慎重な考慮を示し、連盟においては国家主権と国家の利害が、依然として根本的な役割を演じたのである

と言っております。



これはですね、もし侵略戦争が犯罪であるならば世界はこうあらねばならない、という逆説から見ているわけです。

つまり、もし侵略戦争が犯罪であるならば、世界は各国家の主権を超えた国際法団体によって統率されていなければならない。そしてその性質上、各国家の主権には規制がかかっていなければならない、ということになるわけですね。

国家の主権というものについては何度も触れていますが、戦争をする権利も有しているわけです。厳密な言い方をすると、国家防衛のための予防的先制攻撃という権利です。そして予防的先制攻撃なのか侵略なのかの判断はその当事国に委ねられているわけです。

このような状況でいくら侵略戦争は犯罪だ!と言ってみても、「これから侵略しますw」なんて言って戦争しかけるバカはいないわけですからね。所詮、勝ったほうが負けたほうを貶めるだけのプロパガンダに過ぎない、ということなんです。





世界大戦勃発以来、国際法の基本原則を、国際生活に特有の言葉で、再声明すべきであるという気持ちが、多くの学者の間に存している事は疑いがない

と前置きした上で、

同時にこのことは、今日においてもまだ行われていないといわなければならない。現状の下における国際機構は、近き将来において、国家主権の原則を廃棄するというような徴候を、いささかも示していないのである

と結論付けております。

どの強国も、自国の主権を制限するつもりはないわけです。それなのに敗戦国の主権は度外視しましょうというわけですから、そりゃおかしいだろということです。



ここでは以下の言葉で締めております。非常に深い言葉なので3回くらい読んでもらえるとよく理解してもらえるんではないでしょか。。。



第二次大戦前には、いやしくも強国として、かような(侵略戦争の)企画ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言いうるか、本官には理解する事が出来ない。

本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたというほど、発展を遂げていなかったと考えたという意味である

2009-03-08-Sun 09:13:33 │EDIT

みなさんこんにちは^^

さてさて、今日からのパール判決書は「国際法は進歩する制度であるから」、先例がなくとも裁いてそれを先例にしちまえばいいんだっていう考え方に対する考察です。

法律を勉強している人たちにしたら、こういうことって基礎中の基礎なのかもしれませんが、うちのような素人には目から鱗なオハナシでございます。

今回も長いので、3つくらいに分けて説明していこうと思ってます。





予備的法律問題 (ロ)国際法は進歩する制度であるから



コミンズ・カー氏という人が、ベルサイユ条約第227条を引用して、同条文は「原則を定め、またすでに十分に確立された原則を、新しい事態に適用する」ものであるといったわけですが、

ベルサイユ条約の条文には、

「同盟オヨビ連合国」が「国際道義ニ反シ条約ノ神聖ヲ穢シタル重大ナル犯行ニツキ」ドイツ皇帝を「訴追」する、というようなことが書かれているわけです。

この条約から求め得る原則は、わずかにつぎのものである。
一、同盟および連合国は、戦敗国の元首またはその首脳を裁判に付しうる事
ニ、これらの国が右裁判のための裁判所を構成しうる事
三、右裁判所は、国際的約定による厳粛なる義務と、国際道義の効力を擁護するために、国際政策上の最高の道義に基づいて行動すべき事

この条文には、戦争を犯罪であるとしたり、戦勝国の設ける裁判所に、かような戦争が不法ないしは犯罪的であると宣言する事を強制するような原則は、なんら存しないのである


と、パール判事は、ばっさり切り捨ててしまいます。

裁判にかける、ということと、それが犯罪である、ということは、厳格に分けておかないといけないよってことですね。

まぁ、当たり前のことではあるんですが、たまに「東京裁判にも侵略戦争を犯罪とするという意義があった」なぁんて知ったかぶりな人がいるものですから、きちんとしとかないといかんわけです。

ところがなかなか一から説明するのもメンドいんだよなぁ。。。日本が厳密な意味における侵略戦争をしたかどうか、事後法の無効性、戦勝国による戦争犯罪・・・。皆さんもきっとどこから話せばいいか困っちゃうでしょ?w

最近はあまりにもメンドくさいんで一言、、、パール判決書読んでから言えよ!

(実はうち自身が全部読み終えてない事はここだけのナイショですw



そんなハナシはおいといて、



敗戦国民を裁判する事は、この目的のための正当かつ十分な社会的発展過程であるとは、本官は考えない。少なくとも国際生活における法律関係を発展させるに当たって、かような敗戦国の無力感が根拠として用いられる事を許すべきではない

単に力で抑えるという事は、それが単なる力に過ぎないと判明するときが来るのをいつでも防ぐ事は出来ないのであり、法の領域に属するものとして適用する事は出来ないのである


負けたということがイコール犯罪となったのでは、もはや法律など必要ないわけで、これが現実になったら戦争のルール自体も守る必要がなくなっちゃうわけです。要は勝ちゃいいんだと。勝ってしまえば戦争犯罪なんて誰からも訴追されないわけですからね。それをパール判事は否定したわけです。



これまたよくいる人のハナシなんですが、「戦争ってのはそういうもんでしょ」っていうヤツ、いるでしょ?wこれほんっと多くてアタマにくるんだよねぇ。

なんていうか、、、自分一人だけ達観してるつもりというか、なんかタバコの煙をふぅーっと吹いて「戦争ってのはそういうもんだ・・・うん」とか自己陶酔してるヤツ!

こういうヤツは広島長崎への原爆投下も「戦争なんだから・・・」って思ってるわけです。どんだけ人間失格なんだよと^^;

「戦争なんだから・・・」で思考停止してる人は、そのまま停止してて下さいw

自分では「俺は何でも知っている」とカッコいいと思ってるんでしょうけど、うちからしたら完全に脳みそ溶けてるからw



というところで本日時間切れw


2009-03-01-Sun 10:03:50 │EDIT

みなさんこんにちは^^

日曜日は毎度パール判決書でございます。折角の休みですからアタマをやわらかく使っていきましょう♪






予備的法律問題 (6)侵略戦争-犯罪とされたか

(イ)慣習法の発達によって その3




今回はですね、慣習法がどのように発達していくべきなのか、ここのところを解説してもらいましょう。



慣習が法の起源として考えられる場合は、次の二つの本質的要素が前提とされている。
一、人民の法律的な感情のある事
ニ、観衆を示すところの、ある外面に現れた、普段の一般的な行為があること。


ということです、おわり。

え?ちゃんと説明しろって?w





えっと、つまりですね、

まず慣習法に限らず全ての法というものは、人々の感情の中の法的意識、というものが起源になって来るでしょう。人が人のために作るわけですからね。

ただし、法的意識があるというだけでは実際にそれを法として適用できるかとなるとそれは違うぞと。

たんに一般人民の確信による慣習法の起源と、それが裁判所によって適用されうる、という二つの問題には、歴然とした区別があるのである

人民の確信の中に存する。という意味においての慣習法があるかもしれない。しかしそれは、裁判所によって適用されるための前提条件が欠けているために、裁判所が適用しうる法律ではないかもしれない。ここに本件に欠けている慣例が登場してくるのである


要するに、人々の中に法的意識があるだけではなく、その意識どおりに人々が生活していることが必要ってことなんです。

戦争は犯罪だ!と思っていても、みんな戦争しとるわけです。戦争にはルールというものがあってそれを守らなければならないんですが、逆にそれを守るっていうことは戦争のルールを認めちゃってることになるわけです。

いささか小難しいハナシですが、本当に戦争が犯罪だと国際社会全体が思っているなら、その戦争のルール自体が無効なわけです。

何も茶化そうとしてるわけじゃなく、少なくとも第二次世界大戦時の国際社会というものは戦争という手段を否定していなかった、認めていた、ということになるわけです。

だからパール判事は、本件に欠けている慣例、というものを主張しているわけです。

人々は法律を単に意識しているというだけでなく、その法律のとおりに生活しなければならない

この遵法生活という事は、たんに表示の形式として要求されるというのではなく、慣習法確認の手段としても要求されるのである。諸国家の行動が考慮される場合にはおそらく負けた戦争だけが犯罪であるというのが法であると認められるであろう


もし仮にその時点での各国家の行動を慣例とした場合、自ら戦争をしていながらにして戦争を犯罪だとするわけですから、当然敗戦国だけが犯罪に問われるよってことなんですね。逆に言えばそれは慣例として認めることが出来ないよねってことです。

ここちょっと本文からは分かりにくいけど、論理的にはそういうことをパール判事は言っているようです。



んで、ここでの結論

どのような種類の戦争でも、パリ条約ないしは同条約から生じた結果のために、不法または犯罪的となったものはない。またいずれかの戦争を犯罪的であるとする慣習法もなんら成立してきていないのである



TVに出てくるようなインチキ知識人やインチキアナウンサーには、こういう論理的構築がさっぱり理解できないんだと思います。

まとめてみると、なんだそんな簡単な事かってハナシなんですけど、あいつらにはほとんどマジックの領域なんだろうねぇ。。。



んで次回は、

(ロ)国際法は進歩する制度であるから

国際法は進歩する制度であるから、過去の先例がなけりゃ新しく先例を作っていいんだじぇ!とか言う人がいるそうで、、、そこんとこどうなのよって感じです。

ではでは^^
2009-02-22-Sun 08:03:37 │EDIT

みなさんこんにちは^^

今日もはりきってパール判決書いってみましょう♪日曜日は読書の日ですw




予備的法律問題 (6)侵略戦争-その他の理由によって犯罪とされたか


(イ)慣習法の発達によって その2



ちょっと間があきましたので少しおさらい。

前回は、(グリュッグ博士が引用した)この時代までに締約された各国の平和協定や平和宣言が慣習法の形成に究極的には貢献するであろうこと、ただしこれを法として成立させるためには国家の主権という国際社会の基礎を根本から変えなければならないこと、というところまでやりました。



で、今回、

国家の外部的均衡関係にもとづいた全人類の連邦が、将来の理想であるかもしれない

しかし、この理想が実現するまでは、国際団体の根本的な基礎となるものは、現在においても将来においても依然として国家主権であろう


ということです。パール判事は個人的に「国家主権を制限した世界連邦」という主義を持っていた、と言われています。その点についてはおいおいとまた出てくると思いますが、「~かもしれない」という表現にとどまっているのでここではスルーします。

仮にそのような連邦が理想であるとしても、それが実現する日まではやはり国際団体の基礎は各国の国家主権である、ということですね。

そもそも国家主権に制限を、というのは非常に難しい問題でしょうね。それぞれの国がそれぞれの成立過程を持っており、文化も歴史も違うわけですからそれを元にした主義主張に制限を加えるというのは。。。未来においても無理じゃないかと思われます。(どんなにスゴイ潜水艦が一隻あったとしても領土問題は解決出来ないのですw



今日まで、平和とはたんに戦争の否定として考えられただけであって、それ以上のなにものでもなかった

かような状況の下にあって、「力」の行使が依然として基本原理である限り、私見によればグリュッグ博士が言及したような宣言なぞは、なんら慣習法を作りえないのである

これらの宣言は、せいぜいそれをなした人々の所信の表現にとどまるものである


こう喝破しております。国際社会というものが国家主権によって成り立ってるんだから、平和協定だろうが平和宣言だろうがそれはそうなるよう努力しましょうね、という程度のものでしかない、とそういうわけであります。



今回はここまで。

実際、先の大戦を悪く言う人というのは大概「戦争=悪」と思っているようですし、当時も今もそういう観念によって人々は暮らしていた、と思っているようです。

しかし、当時も今も国際社会においては「防衛のために戦争を仕掛ける」ということが「国家の主権」として認められているわけで、そのような状況下では「戦争=悪」という図式は成立しようがないわけです。

世界中の人々が「戦争は悪だぁ!」と思えば戦争はなくなる、、、なぁんてのはバカげた妄想だってことです。

だからといって「戦争イケイケ」というわけじゃないですよ^^;モチロンうちだって戦争なんかないほうがいいです。が、この国際社会の現状というものを知る事は凄く重要な事だと思うわけです。



そして次回は、その3

慣習法というものはそもそもどう成立していくべきなのか、に行きます。ここも凄く重要ですw

だって考えてもみてください。慣習法が法として適用されるためには慣例が必要なわけですが、最初の一発目には間違いなく慣例はないわけでしょ?

その一発目が慣例として認定されないと、そもそも慣習法って成立しねぇじゃん!とw

コロンブスのタマゴ、だっけ!?タマゴが先か鶏が先か!?みたいな。

そんな根本的なところをパール判事に解説していただきましょう。

ではでは^^
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血盟ランドクルセイダーズ盟主にして究極のボケラレイヂラレキャラ。落とし穴の神様に取り憑かれる無駄パワー鉄人。あだ名がいっぱいありすぎる地味に変人。
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