みなさんこんにちは^^
え!(D)難しく書きすぎじゃないかって!?
確かに、、、
正文自体が難解Orz
あれは、誰が読んだって誤読の可能性MAXですねぇ;;
最初読んだとき、、、
アタマがパニックに陥りまして、、、
どんな風になったかというと、、、
・・・・・
こんな感じ!!!w
え??久しぶりに漫画描いたじゃねーかって???
なんか、、、この前、ストくんとウルくんに、、、
フォトショップ(お絵かきソフト:値段が激高い)が死んでんじゃね?www
とかなんとか言われまして(ー_ー;
だったらたまには描いたるわーーーー!!!
ま、、、相変わらずパースがてけとーですが^^;そこはよしなにw
---本編スタート♪---
さてさて、、、
予備的法律問題 (E)定義-これは裁判所を拘束するか
パール判事は、
本法廷は国際裁判所として設置されたものであるから、明白にこれが「司法裁判所」であり、「権力の表示」であってはならない、と断言しています。
東京裁判は結果的には正に「権力の表示」に他ならなかったわけです。今日、日本人にも「戦争に負けたんだからそうなってもしょうがない」と開き直るというより思考を放棄している人が多いのですが、これに異を唱える人が当時いたということを知っておくべきでしょう。そしたら、自分の態度がいかに恥ずべきであるかが分かるはずです。。。
勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺戮した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである
儀式化された復讐のもたらすところのものは、たんに瞬時の満足に過ぎないばかりでなく、窮極的には後悔をともなくことはほとんど必至である
戦勝国は疑いもなく、戦争法規に違反した人々を処罰する権利を持っている。しかしながら戦勝国が任意に犯罪を定義した上で、その犯罪を犯した者を処罰することが出来ると唱えることは、その昔戦勝国がその占領下の国を火と剣を持って蹂躙し、その国内の財産は公私を問わず全てこれを押収し、かつ住民を殺害し、あるいは捕虜として連れ去ることを許されていた時代に逆戻りするほかならない
こういう言葉をなぜ歴史の授業で教師が伝えないのか非常に疑問です。
連合諸国は、復讐のために後から犯罪を定義し裁判を行い、それをいまだに反省も後悔もしていません。こうして数世紀にわたる文明を破壊し、今もなお野蛮に振舞っている。それがアフガンやイラクでのアメリカの態度といって間違いないでしょう。歴史は繋がっているのです。。。
もう一つ、(E)では重要なことを書いています。
どんなことかというと、
戦争の遂行方法のような国際法レベルの問題を裁こうとした場合、国内の刑事法では無理なのでたとえ国内裁判所で裁判を行うことになったとしてもその実態としては国際法を適用するほか無い
ということです。これは法律のレベルの問題ですね。例えば、「戦争の遂行方法が国際法に違反した場合、総理大臣は死刑」なんてこと、国内法では出来ないわけです。条件が国内法の範疇を越えているからです。
まぁ、ここでは法律とはそういうもんですよ、と理解しておいてもらえればおkです。(F)以降、これに関連した問題が出てきますので、予備知識程度に。
さて、最後に余談を・・・
戦争なんかないほうがいい、とよく人は言いますが、残念ながら人類はいまだに戦争を克服出来ていません。というよりも、まことに残念ながら話し合いで決着が付かなかった場合の最終手段として今後も戦争という外交手段がなくなるということはないと理解しておくべきでしょう。
であればこそ、戦争にはルールが必要なのであり、それを国際社会は少しずつ形成しようとしているのです。
しかし、第二次世界大戦において戦勝国はそのルールを踏みにじり、世界はパール判事の予言どおり野蛮な時代へと逆戻りしてしまいました。
こうして、「力こそ正義」という時代に突入した結果、「力を持たざるもの」は戦争という外交手段を用いることも叶わなくなり、戦争に変わる手段として国際テロが頻発するようになったのです。
確かに、テロは民間人を巻き込むという点において許されないのではありますが、ではどうしたら「力を持たざるもの」は「力を持てるもの」に対抗出来るのか、もしくは蹂躙されて然るべきとするのか、その答えをいまだ国際社会は発見してはいないのです。
人類全体が生存の危機に瀕したそのときにそのことによって解決したとしても、その刹那人類が滅んだのでは悲しすぎますね。。。
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