---本編スタート♪---
みなさん知ってる方も多いのではと思うんだけど、
今、保守論壇村ではパール判事の解釈をめぐって大騒ぎです^^;
中島岳志と西部邁がやっきになって
パール判事は、日本に戦争の道義的責任はあると言っていた!そして憲法第9条をガンディー主義と重ねて擁護していた!
なんてのたまわっているわけです^^;
さすがに、、、ここまで来ると
ビョーキなんじゃないかと思うんだけど、こんな主張も活字となって新書として売られ、なんとなんとNHKなんかでも番組作って放送されちゃうっていう公害じゃねーの?っていう状態^^;
これが保守論壇村の住人とは・・・Orz
今回、次回と、ちょっとマジメに書いておこうと思うので、興味のある方は
小林よしのり著「パール真論」
を読んでみてください。
さてさて、、、
大東亜戦争(現在一般的には太平洋戦争)は、アメリカと壮絶なる戦いを行い、東京大空襲や原爆投下など当時でも戦争犯罪とされた一般市民を巻き込む惨禍をもたらし、日本は降伏しました。
勝った連合国は、二度と日本が立ち向かってこないように、見せしめとして指導者たちを晒し首にしようとしました。これが世に言う
東京裁判です。
東京裁判においてA級戦犯として訴追された東条英機(開戦時の首相)は、
天皇の命を守るため「あえて」天皇の意に背いて開戦した、と主張しました。これは、昭和天皇の訴追を逃れるための弁護方針として弁護士から指示されたのですが、天皇を心から敬愛していた東条にとって非常に耐え難いことであったようです。つまり、自分は天皇陛下に身をささげている身であり陛下の意に背くなどと出来るはずがない、と思ったからです。指示を受けたとき嗚咽を隠せませんでした。
しかし、それでも天皇を守るため彼はその指示を受け入れ、天皇の命を救ったのです。
そして、国民に対しては、惨禍に巻き込んだ責任は死罪でも足りないくらいだ、と言って、潔く処刑台に向かったのです。(本来、政府が政策に失敗をして責任をとる、というのはせいぜい内閣総辞職が限度で、それ以上の責任はない、というのが原則)
東条は、開戦を回避するため、軍部を抑え付けるために選ばれた首相でした。そんな彼をもってしても戦争は回避できなかった。それはもはや国民の意思であり、連合国の意思であり、時代が求めたといっても過言ではないでしょう。
今日、東条をまるで悪魔のように、まるで能無しのように蔑む政治家がいる、、、というかほぼ全員そうらしいのですが、
国会を見ていると、とてもとても東条ほどの信念も覚悟も持っているとは思えません。
や~めた、と言って投げ出すような首相や都合が悪いと手のひら返す政治家が東条を非難する資格なんてほんとにあるんでしょうか?理解に苦しみますね。
では、次回は本題
パール判事と東京裁判について。。。
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