---本編スタート♪---
会津武士道 第三部 明治維新と会津武士道
其の二十八
9月10日
越後口の西軍は、やっとのことで坂下入りし、ついに会津盆地へとたどり着いたのでした。とはいってもここから城下までまだしばらくの距離があったため、ここで一泊し次の日城下へ向かっていくことになります
9月11日
北方へ転戦していった萱野隊は熊倉へ到着し、片門村から分かれて北方から侵入してきた越後口西軍と激突しました
北方からの攻略は、8月28日に片門攻略のときに別れた軍で、手前の阿賀川を渡河し只見川をよけて北方から会津盆地を目指していました
9月2~10日まで続いた大規模な戦闘で西軍は大鳥圭介隊や長岡藩兵らに勝利し、11日に熊倉へ到着したわけです
勢いに乗っていた西軍でしたが、油断もあってか萱野隊決死の攻撃に死傷者が続出し退却を余儀なくされました
しかし、既に降伏している米沢から西軍への援軍が南下してきたため、萱野隊はやむなく撤兵し、鶴ヶ城方面へと向かっていくのでした。このとき、米沢藩から会津藩への降伏勧告が渡されたようです
大鳥圭介はこの後仙台で榎本武揚と合流し、函館へと向かいました。。。
つづく