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10月18日 くもり

2007-10-18-Thu 06:31:46 │EDIT

みなさんおはよです^^

昨日の「その時歴史が動いた」、みなさんご覧になりましたか?
昨日はですね、「義に死すとも不義に生きず」というサブタイトルで、会津藩の悲劇を特集したわけです。

ほんとは昨日UPしようと思った今回の番外編、これを見てからのUPにしようと一日遅らせました。なにかNHKならではの視点でも出てくるかと思ったのですが。。。

ゲストに出てきたのは会津の歴史本を数多く書いてる星亮一という方なんですがね、、、なんだかそもそも展開が早すぎ。ほとんどの関連項目を一気にふっとばして鳥羽伏見~江戸無血開城~会津戦争~長命寺決戦~大砲撃~鶴ヶ城開城って。。。
まぁ、そこは時間制限ある番組だから仕方ないのでしょうけど、更にヒドかったのは最後のアナウンサーの質問。

「松平容保の降伏は、、遅くなかったですか?」
対して星亮一
「会津藩恭順には三つの条件があって、藩主の斬首・・etc、家臣にとってこれは受け入れがたく・・・」

はぁ???アンタラナニイッテンノ???

これって、ちゃんとリハーサルやってるのよね?まさかぶっつけやっつけ??

質問と答えが、ぜんっぜんかみ合ってないってばwうちが国語の先生なら赤点。そもそも会津戦争を単なる悲劇と捉えて放送するNHKとこのアナウンサーにもがっかりしちゃいますけど、それに対してまともに答えられない専門家って・・・Orz

降伏が遅かったか遅くなかったか、
それはうちがのちのち答えましょう。。。



今日は、次回其の二十七まで少し間があるので(10月21日UP予定)、番外編として、それこそ歴史が動いた容保公の決断と西郷頼母の恭順論について、書き留めておこうと思います




---本編スタート♪---




会津武士道 第三部 明治維新と会津武士道

其の番外編




松平容保と西郷頼母

幕末の会津藩においてこの二人の対立は、尊王か佐幕かはたまた開国か攘夷かなどという実は単なる政治闘争とは違い、実は思想哲学的に非常に高度な対立なのです。

現代人が単なる現代人の感覚でこの両者を推し量ってみても、なんの真実も見えてきません。多くの本を読みましたが誰も理解していないので、最重要項目として解説を行いたいと思います。



かたや養子として会津藩藩主となった松平容保、かたや藩祖保科正之と血が繋がる会津藩家老西郷頼母。この二人は幕末の動乱期に、京都守護職を受けるべきか辞するべきか、西軍と対決すべきか恭順すべきか、という藩の存亡をかけ対立しました。

松平容保は、藩祖の遺訓を忠実に守り会津武士道を貫くことを第一義と考えました。天皇を奉り幕府を支え、大恩ある幕府のためならば滅藩をも覚悟する、それが会津藩の役目である、という藩祖より続く会津藩の伝統を忠実に守ろうとしたのです。


対して西郷頼母は、会津藩の存続こそが第一義と考えました。会津藩の存続のためなら藩主も藩士も犠牲になって構わない、どんなことがあっても会津藩を残す、そう考えたのです。そのためならば自分たちの代が卑怯者と言われても臆病者と言われても、それは甘んじて受けよう、そう覚悟したのです。

これは現代にも通じるとても重要なテーマではないでしょうか。


白虎隊のドラマでは、頼母の思想は「戦乱を避けるため、人々が争わないため」それは「命を大事にする」という薄っぺらいヒューマニズムで描かれていました。実は、これを支持する人はとても多いそうです。
はっきりいって、うちが歴史の先生なら赤点です。

しかし、そうかといって彼は「保身に走った」わけではありません。

彼は、どんな汚名を着ようとも、後世に会津藩を残せば「いつかきっとお家再興はなる」と考えていたのです。そのために自分は臆病者、卑怯者と呼ばれても構わない、という気概があったと見るのが正しい認識です。


さぁ、こう聞くとなんだか頼母を応援したくもなってきますね。
では、松平容保の思想はどうでしょう。

容保の考えは、命を賭して「会津藩の伝統」を守る。それによって会津藩そのものがなくなっても構わない、後世に残すべきは「伝統」である、そういう覚悟だったのです。


彼は、生きてさえいれば、藩が残ってさえいれば、といって先送りして自分が保身に走ることを嫌いました。自らがまず会津武士道を貫いてみせる、その覚悟なくして何が藩主か、という上に立つ人間としてとても立派な思想だったのです。だからこそ、藩士から慕われたのです。

なんだか今度は容保を応援したくなってきました。



結局この二人の対立というのは、抽象的な「会津の伝統」か実質的な「会津藩」か、そのどちらを守るべきか、という非常に難しく非常に高度な思想の対立だったわけです。

ただし、どちらも命を賭す覚悟であったこと、そして藩の存続には恥を覚悟すること、そんな強い覚悟に基づいた対立であった、と捉えねばなりません。


それをサヨクが一生懸命に「西郷頼母は人権派」と宣伝するから、みな誤解しちゃうんですよ。ここは断じて間違ってはいけません。ここ間違うと赤点です。


では、現代に当てはめてみましょう。


日本という国は、ただそこに列島があれば、ただそこに政府があればよいでしょうか?ただそこに日本人なる人種が生息していればそれは日本でしょうか?
それは違います。日本の価値は日本の伝統にこそあるわけです。

それを守らねばならぬ、それを自ら実践してみせよ、と松平容保は現代にメッセージを送っているのです。

西郷頼母は、今それが出来ぬなら臆病者の汚名を受けよ、と言っているのです。恥を持って次代に託せ、とメッセージを送っているのです。


対米追従に際し、自らを卑怯者と覚悟出来る日本人がいるでしょうか。国家存亡を賭け、奴隷の鎖断ち切る覚悟ある日本人はいるでしょうか。


会津戦争真っ只中と同じ秋の空、彼らはわたしたちを見ています。。。


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血盟ランドクルセイダーズ盟主にして究極のボケラレイヂラレキャラ。落とし穴の神様に取り憑かれる無駄パワー鉄人。あだ名がいっぱいありすぎる地味に変人。
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