世界で一番大切なモノ
たまには真面目な話
自分の心の中に、自分に語りかけてくれる人がいる。
その存在が何であれ、重要なのは確かに彼がそこに『いる』ということ。
それを『魂のカケラ』と呼んでみる。
誰にでも残してくれるわけではない、大事な人から順番に少しずつ分けて残してくれるのだ。どれだけ望んでも聞こえない人には永遠に彼の言葉は聞こえない。
その『魂のカケラ』を自分に残してくれたことに感謝する。だからその『魂のカケラ』がずっと自分の心の中で生き続けて欲しいと、心から願う。
そしてまた彼との対話が続く
りだは相変わらずそーゆーめんどくさい話好きよね~~~?wwwww
っるせーよ!!!wwwww
---本編スタート♪---
さてさて、たまにはホントのホンキで真面目な話ですw
心理学的に分析しようとすると、『経験や記憶から来る虚像に過ぎない』という答えが返ってくる、そんな風に思っている人が多いと思います。
しかし、人間の心というものが一体どこにあるのか、それは何者なのか、実は良く分かっていないというのが正確なところなんですね。
例えば、この宇宙に自分ひとりがぽこんっ!と生まれて、ひとりで生きていくと、『自分』という概念が生まれません。『他者』が存在して始めて『自分』という概念が生まれるわけです。つまり、『自分』という存在そのものが観念に過ぎない、ということです。
『あなた』がいてやっと『僕』が規定される。
そうやって考えると、自分の心というのはそもそも『他者』によってなりたっている、ということがいえるわけです。なので、本当の本当に自分だけの自分、なんてものは実はありそうでないんですね。
だから、『心』というものは自分が自分の中に持っているというより他者によって構築されていく、というわけです。
自由な社会では『オレがオレが!』という感覚が大きくなってしまい、根本的なところが忘れ去られてしまう。まぁ、これは自戒を込めて。
もちろん、それも証明できることではない以上、どこまでいっても50%50%。シュレーディンガーの猫です。
うちは何も皆さんに『魂のカケラ』の存在を信じろ!と強弁するつもりはありません。
ただひとつだけ忘れてはならないこと
心の中の彼を疑ったら、やがていつか彼は自分の心から消えてしまう、ということです。それでいいというならそれでいいのでしょう。
うちは絶対にイヤだ。。。折角残してくれた『魂のカケラ』を裏切って空しさのうちに消してしまうのは自分もイヤだし、彼もあの世で悲しむだろう、と思う。
彼がうち自身に望む唯一のことは、きっと『オレのこと忘れないでね』だと思う。
ぜっっったいに言わないけどw
きっとそう、、、逆の立場ならうちは絶対にそう思うから。
形あるこのキーホルダーと形なき魂のカケラを一生大事にしたい
天国に行ってもいまだに家族を心配する素晴らしき親友へ
オレまたまた、りだのネタにされちゃったよ~~~~wwwwwww
ま、、、うちと関わったのが運のツk・・・ということでw
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