---本編スタート♪---
6年ほど前になるかな。
親しい友人2人とお酒を飲みに行ったんです。
そのとき、その友人のうちの1人と口論になりまして、、、
その彼は酔った勢いもあったのでしょうが、自分の母親の事をかなり口汚く
罵ったんです。
「おれは母親の世話になった覚えはない!」「自分の人格は自分で作ったのだから親なんか関係ない!」「世話になってないんだから面倒も見たくないんだ!」
書ける範囲で言うとおおよそこんな感じでした。
うちは皆さん知っての通りこんな性格なもんですから、スルー出来ない。勿論、友達を想えばこそではあるんですがこっちも酔った勢いがありまして、
「おまえがいくらお母さんの悪口を言ったってそれが事実かどうか確認できない以上は、それを真に受けることなんか出来るわけない!だったら親の悪口を平気で言ってるおまえのほうがよっぽどおかしいと思うしかないだろ!」
とか言っちゃったらもう止まらないわけです。
「大体、親が悪くて今自分が立派な大人になったと思えるんだったら反面教師になってくれた親にやっぱり感謝するしかないじゃないか!」とか「そもそも親がいなけりゃそんな風に偉そうに立派ぶってるおまえ自身が生まれてないじゃないか!親を否定するなら自分を否定できるのか?!」
若さ、、、というのもあるんですが、どうもうちは相手の逃げ道を塞ぐような追い詰め方をする事があるんですよね。後から一緒にいたもう一人の友人から、キッツイなぁ、と言われる始末。
そんな感じで、その飲み会はかなり体裁が悪くなりそのままお開きに。
後日、彼からすごく他人行儀なメールが届き、「この前はすみませんでした。色々ありがとうございました。」という、、、恐らく完全に心を閉ざした文だったものですから、こちらは更に頭に来てまたしてもああでもないこうでもないというようなメールを送った気がします。
で、まぁ、当然の如く彼とはそれ以来会うこともメールのやり取りもなくなりました。
さすがにちょっと言い過ぎたかな、とか思いつつも、「いや、友達なんだからはっきり言ってやらなきゃいかん」などと思ったりして、なかなか気持ちに整理が付かずそのまま時が流れていきました。
一応、気を使って年賀ハガキは出し続けたのですが、全く彼からは送られてこず、さすがに「もういいか」と思って出さなくなってしまいました。
彼が頑固で意地っ張りで捻くれてることは重々承知していたし、こちらも負けないくらい頑固で意地っ張り(捻くれてはいないはずですが)なもんですから、まぁこうなることもやむをえないな、、、そんな感じでいつの間にかあまり気にしなくなっていったんですね。
そして今年の12月17日
全く別の友人から、その喧嘩別れした友人の訃報が届きました。しかも、亡くなったのは1年前らしい、とのこと。その友人もその日しかも偶然知ったらしく誰も知らなかったらしい。
正直言うと、そのときあまりショックはなかったです。なんというか、疎遠になってたってこともあったし1年前だったとのことであまり現実感がないというか、なんかボーっとして「あぁ、亡くなったんだ。。。線香上げにいかなくちゃな。。。」なんて感じでしたね。
とりあえず、しばらくして思いついたのは、遠くにいる友人に知らせなくちゃな、ってことでトンファー先生やカズくんに電話したわけです。恐らくトンファー先生は、ヴォーグはそんなショックを受けてるようでもない、と感じたのではないでしょうか。
KOAMUくんとこには、別ルートから話が行くだろう、と思ったので少し連絡が遅くなったわけですが。
それからはその亡くなった友人の家に電話したわけですが、なかなか繋がらなかったんです。
3,4日のうちに10数回ほど掛けたんですが全然繋がらなかったんですね。
そこでうちが思ってたのは、ヤツがあっさり電話に出て「は?何か用?」とか言われて「は?別に?じゃーね」とかなったらまた険悪でやだなぁ、、、なんて感じ。今思うとほんと心ここにあらずって感じです。
そして先日、、、
お昼に自宅へ戻った際、「昼だったらお母さんいるかも」なんて思って掛けたら、あっさりと繋がりまして、、、出たのはお母さんでした。
「ご無沙汰してます。なんか息子さんのことをちょっと聞いたので、どうなさったのかなと思って電話したのですが」
「あぁ。それはご丁寧に。息子は去年12月に亡くなったんですよ」
この瞬間ですね、我に返ったというか。電気が走ったような気がして、一気に悲しくなりました。
「やっぱりそうだったんですか。では、お線香を上げにお邪魔してもよろしいですか?」と聞いたんです。お母さんのお気持ちがわからない以上、断られる可能性だってあるわけですからね。
ところが「是非いらしてください」と快諾していただきまして、
「じゃぁ、これから向かいますので1時すぎくらいにそちらに着いたらまた電話しますね」と、ここからは大急ぎ。勿論、残念ながら礼服の置き場所が分からないから仕方なく作業服のままで。
途中、セブンイレブンに寄って香典を包んで急いで向かったわけです。
そしてマンションの入り口まで着いて電話したわけですが、
出てきたお母さんを見て、あぁ本当に亡くなったんだな、とつくづく実感しました。それほどにお母さんは疲れ果てた様子でした。
そしてマンションのエレベータを2人で上がっていったんですが、、、
なんというか、、、ほんとに恐らく友人の中でもうちが一番このエレベータ乗ったはずです。喧嘩する前はそれほどまでに仲良かった。彼の部屋には巨大スクリーンがあったのでそれでグランツーリスモやったり映画観たり、ほんとこのエレベータよく乗ったなぁ、と思うとなんか辛かったですね。
そしてエレベータを降りて家に入り、仏壇に案内されました。
兎に角、まず線香を一本。
仏壇には小さく飾られ遺影となった彼がいました。恐らく30前と思われる若かりし頃の彼は、自信と夢と希望に満ち溢れそれでいてどこか儚げな表情に見えました。
涙は止まらなかった
そこではからずも数分身動きが取れなくなってしまい、心の中で色々な楽しかったことを思い出したり、またあの飲み会での事を問いかけてみたりしながら、それでもなお安らかに眠ってね、と手を合わせました。
数分後、いたたまれなくなったのかお母さんがコーヒーを入れてくれたので、ようやく少し落ち着くことが出来ました。
そして、お母さんと二人で彼のことをいろいろと話しました。
彼が頑固で意地っ張りで捻くれてて冗談が通じない事や、実は凄く優しくて気を使うタイプである事などなど、長い時間泣いたり笑ったりしながら喋りました。
そんな中、最後にふとお母さんがですね、
「最後に出て行くときにね。どういうわけだか、お母さん今までありがとね、世話になったね、ありがとね、っていやに何回も言って出て行ったんですよ。あれ?なんでこの子そんな事言うのかなってそんとき思ったんですよ」
うちはこのときはっきりと理解しました。あいつなりの答えをこうやって伝えたかったんだな、と。ほんとにあいつらしいというか。直接言わずに遠まわしに伝えてきたんだなと。
結局、彼とうちの喧嘩はこんな形で打ち解けたというわけなんですね。
それは決して良い終わり方じゃなかったけど、でもなんて言うんだろうか、意地っ張り同士ならではのそれでよし、という感じがお互いに、いや少なくともうちにはあって、なんだか切なくて悲しくてそれでいて晴れやかな気持ちになりましたね。
そして、時間的にもそろそろ仕事に戻らねばということで、「じゃぁそろそろ帰ります。また寄らせてください」と言ってふと、
「ところで、命日は何日になるのですか?」
と聞いたところ、
「去年のね、12月17日なんですよ」
そうなんです。
彼は、亡くなってきっかり1年後の日に、うちに知らせてくれたってことなんです。もうほんとに何から何まであいつらしいというかほんと捻くれたやつです。
そんな頑固で意地っ張りで捻くれものでナイスな友人の冥福を心よりお祈り申し上げます。
おわり
これを単なる偶然と言うのは実にたやすいですよね。そんなことはバカでも出来る。うちはこれを偶然だとは思わない。仮に、魂の存在がなかったとしても、魂の存在の証明は遺された者がするしかない、そう思います。
彼は彼なりのやり方でうちに何かを伝えたかったのだろうし、それはうちがそう思ってあげることでしか証明出来ないのだから。
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