みなさんこんにちは^^
価値相対主義の是非についてなんですが、3つ問題がありまして。
1つめは、前回書いたように
・価値相対主義の主張に沿えば、価値相対主義自体が相対化されるんじゃないか
ということですよね。絶対正義なんて無いんです!というのが必ずしも正しくないことになり、絶対正義があるんです!という主張も認めるか否か、それぞれの価値を寛容すべし!というのが必ずしも正しくないことになり、人それぞれの価値なんか認めない!という主張も認めるか否か。
これについては前回解説した通り、絶対正義も絶対真理も存在していないのは間違いなし、価値が対立したときはお互い干渉しない、ということで問題なし。
2つめは、ちょっと厄介な問題でして
・何千年も掛けて人類は一生懸命『真理』を追究していたため、今更『真理はありません』という主張を受け入れることが出来ない
という問題なんですね。これはちょっと厄介でして、
哲学も宗教も科学も数学も全て学問は『真理』を探究しているわけで、それが『無い』もしくは『分からない』という解では収まりがつかないわけです^^;
特に哲学は、これだけ侃々諤々で『真理』を探究してきたのに結果が『真理はありません』では、今までの研究は何だったんだってことになっちゃう。
『それでも地球は回ってる』と言えばそれでお終いではあるんですが、価値相対主義者はそこまで言ってないと思います。
『真理ってのは無いんじゃないの?』『あるって思ってるならそれはそれでいいっすよ。どうぞご自由に研究してくださいな』という感じかな。
それがまたスカしてるというかねwここら辺がどうも真面目な人の神経を逆なでするんだと思われます。
だもんで、一定以上の支持を得られない、というちょっと厄介な問題を抱えてますね。
3つめは、かなり厄介な問題でして、
・価値相対主義を取ると、堕落する人が出てくるのではないだろうか
という問題です。これは事実そうだと思います^^;
働きたくない、他人に親切なんかしたくない、悪いことしたい、、、などなど
自分勝手な価値観を全て認めていってしまうと途端に世の中がおかしなことになりそうですよね。それはもうその通りだと思います。
だからといって、
社会の秩序を守るために、お上の言うことは絶対だ、伝統と文化を断固守るべし、右向け右は絶対に右、というのもどうでしょう。
これはこれでただの家畜なわけです。
つまり、秩序と自由はバランスを取ることが必要で、そのヤジロベーは一体何が根拠?!となると、日本人なら日本の歴史と伝統と文化でしょって保守派の人は言うでしょう。
しかし、最近はどうもこの保守派連中のその主張が強圧的というかそれこそファシズムの香りが漂うんですよねぇ^^;
何が言いたいかというと、秩序と自由のバランスを取るのもとてもとても難しいってことです。
かたや、日本の伝統と文化を断固守るべし!と強要してくる保守ファシズムと、そんなカビの生えたもんはいらねぇ、新しい時代には新しい価値が必要!と強要してくるマルクス主義ファシズムが、せめぎ合ってる現状では右と左の綱引きバランスでしかないっていうね^^;
『人が人を殺してはいけない』という価値に絶対の正義を見つけることが出来ない以上は、『社会の秩序』を守るために法律で禁止するほかないんだけど、その法律の根拠は?と言われると途端に弱くなっちゃうじゃないですか。
多くの人がそう思ってるから、といってそれを少数派に強要するとファシズムになっちゃうけど、だからといって少数派の意見を組み込むわけにもイカンというジレンマ。
ちょっと極論なんですが価値相対主義を取ると『人が人を殺してもいい』って思ってる人は、『人が人を殺してもいい』って思ってる人同士で、どうぞご自由にってことになっちゃうわけです。
これの是非はどうなのか・・・ここがひじょーーーーーに難しいですよね。
ここですぐさま補足が必要なんですが、『どのような思想に関わらず人が人を殺してもいい』と思う人は『人が人を殺してはいけない』と思う人を殺せるか否か、といえば、1つめの問題で書いてある通り、これはダメってことになります。
意見が対立して、和解困難な場合は不干渉。
おそらくここら辺が最も妥当なラインかな、と。
いや勿論、これが絶対正しい!なんて思ってるわけじゃないんですよ?!
ファシズムに陥らずに秩序を保つ方法がこれから見つかるかもしれないので、アタクシこそが絶対に正しいなんて思ってはいないんですが、現状ではこれくらいしか解決方法がないのでは?と思ってたりもします。
これからの世の中は、
『嘘とインチキのヒューマニズムで塗り固められたファシズムによる人類の家畜化』
に向かっていくのかもしれませんが、アタクシはこれには賛成しかねます。
恐らくこれは人類にとって災厄にしかなりませんし、家畜は動物としての本来のエネルギーを失ってしまうのでどしどし病気に弱くなりどしどし頭が悪くなり、結果AIにピラミッドの頂点を奪われて終了という未来しか浮かびません^^;
さりとて、価値相対主義にはまだまだ問題があるのも事実ですが、どちらかといえばこちらに希望を持つしかなさそうに思います。何とかうまい解決方法をこれからの人類に期待するほかないと思います。
なので、これからの人類に求められるのは粘り強い思考力ではないか、とアタクシは思います。
次回は、ファシズムについて
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