みなさんこんにちは^^
自分は間違っているかも、相手も間違っているかも
というと、前回の『自分は正しい、相手も正しい』に反するように感じるかもしれません。
が、
自分自身に猜疑の目を向けることも大事なことで、それが出来たうえで相手にも猜疑の目を向ける。
これがとても大事なことだと思います。
自分を信じて相手を疑う、というのが一番ダメな感覚でこれが正に『ヒューマニズム』の根幹になっているわけです。
よくよく考えてみると、この世界には『絶対に正しい理屈』というものはそもそも存在しておらず、
人が人を殺してはいけない
という恐らく最も価値の高いこのお題目ですら、
人類はまだこれを証明する理屈を見つけておりません^^;
せいぜい、宗教学的に『汝、人を殺すなかれ』と神様が仰った、というだけですね。
なので、
例えば今回のコロナ風邪騒動、権力側からすれば
『市民を家畜化しコントロール下に置くことが世界平和並びに人類の発展に近付くための最適解』
ということなわけで、理がないわけではない。それ自体はアタクシも認めているところではあります。同意できるかは別として。
反対に、アタクシと言えども、ウィルスが成長と死をもたらす天使であるという理屈が万人に理解されないイコール必ずしも正しい理屈ではない、ということは承知しておりまして^^;
ただ、人の死亡率が100%である以上、死イコール無という昨今の思想的退廃を嘆いているわけです。
家畜として生きるもよし、死を恐れず人生を謳歌するもよし
そこはそれぞれ自由意志を尊重すべし。
しかし、権力者は『国民全員を家畜化』が目標なので、自由意志を何としても阻害したいわけで。
これに反発も出来ないようじゃ、AIにはさっぱり勝てないしターミネーターに殺されてハイお終いって思いますけどね^^;
というわけで、
自分は正しい、相手も正しい。自分は間違っているかも、相手も間違っているかも。
これくらいの精神構造をセットすれば、
ヒューマニズム(人間主義)なんてものは幼稚な人間の戯言に過ぎない、ということが分かっていただけるものと思いますb
余談ですが、
アタクシもジジイの部類なので言わせていただきますが、アタクシのような生産性のないジジイを延命したところで何も社会には貢献出来ないわけで、生きてたってせいぜい大相撲と甲子園くらいしか楽しみは無いわけです。
延命されたけど甲子園がないってんじゃ、それは生きてるって言えるのか?!って思うわけです。
だから、甲子園に限らずみんな子供のころから一生懸命頑張って一生に一回しかない高校三年生を迎えたわけですから、アタクシのようなジジイの命なんざ気にせず、これから輝かしい人生が待っている若者の好きなことを好きなだけやらしてやれって^^;
若者も、もっと怒っていいですよ。そりゃぁジジババの命より甲子園!とは言えないでしょうけど、60歳以上は入場禁止にすれば何の問題もなく出来るわけで。もうちょっと若い人はワガママ言っていいんですけどねぇ。。。むしろそこが物足りないと感じたりもします^^;家畜にだけはなってほしくない。。。
ま、車MODに生産性があるかと言われれば、、、ごくごく一部のマニアにはある!と、思ってはいますけどねw
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