みなさんおはようです^^
女性は産む機械・・・
女性は産む機械・・・
うっかり発言で辞任要求とw
まぁ、文句言ってるほうは「男なんて働く機械」と思ってる顔してるからなぁwイマイチ盛り上がらないねぇw
発言は、うっかりにしては冗談で済まされない言葉だけどね~。文句言ってるほうの顔がなぁw
---本編スタート♪---
さぁさぁ、今日は時間がないw
会津武士道 第二部 其の五
藩士の規律を明確化した玄宰ですが、本丸である財政改革にも同じようにすんごい改革しますw
まず、藩士のお給料
これを、身分に関係なく一人一任扶持、としました。つまり、家老であろうと下士であろうとみな一律給料です。これはなかなか出来ないことですよね。現代の役人だったらもうタイヘンなことになるでしょうw
しかし!
会津藩では文句も愚痴も反乱も起こりませんでした。みな、ひっ迫した財政を知っていましたし何より領民が苦しんでいるわけですから、やむを得ないと思ったのでしょう。ここが現代の人間と武士の違いかと^^;
農政改革
手あまり地や不在・不正地主の土地を、広く領民に解放し、良民つまり専業農家を奨励したのです。
そして、
名産品の育成
絹織物、木綿織り、漆器、蝋燭、焼き物、清酒、朝鮮人参の栽培、松茸の栽培、鯉の養殖
それまで会津の漆器は、デザインが田舎くさかったので、京から蒔絵職人を招いて徹底指導させました。漆の木には1本1本に戸籍をつけて産出量を徹底管理しました。そして、この洗練された漆器を長崎に運んでオランダ人や中国人に売ったそうです^^
朝鮮人参や松茸はやがて財政のドル箱になっていきますし、鯉の養殖は盆地にあって動物性たんぱく質の不足していた会津人にとってこの上ないご馳走になりました。
そしてそして!お酒!!
お米も水もおいしい会津で、なぜお酒がまずいのか!?と思った玄宰はこれも職人を招いて徹底指導しました。そしたらできた酒のうまいことうまいこと!!
戊辰戦争時、続々と鶴賀城に入場してくる他藩の兵たちに振舞われたそうで、もの凄く好評だったそうです^^今でも会津の酒は有名ですね^^会津末廣や栄泉などなど。。。
200年経った現在でも、これらは会津の名産品として残っています^^
会津木綿、会津漆器、絵蝋燭、本郷焼き、会津清酒、などは有名ですし、天ぷら蕎麦を注文すると朝鮮人参がついてきたりします。会津料理には鯉の甘煮もあります^^(うちは食べられないケドw)
そんなこんなで、藩の規律と経済の両方に改革のメスを入れた会津藩は、
なんと!!
20数年後には、ほぼ借財を返済して、藩主容頌の手元金として1万両を蓄える事ができたのです!!
(現在の改革改革といって生活がどんどん苦しくなる構造改革とは全くの正反対ですね^^;
さぁ、明日は、第ニ部完結編w
そして、最後に容頌公と玄宰の序盤のやり取りについて、解釈をつけようと思います^^
ではでは^^