みなさんおはようございます^^
K-1MAXにて、小比類巻がボビー弟に負けたそうで(--;
TV観るの忘れてた・・・w
骨折してました、、とか言ってたけどねぇ。。。
間もなく今年初のPRIDEが開催されるので、、、K-1なんぞどーでもいいわwあ~~はやくてるてるぼーずかざっとかなきゃ~~w
---本編スタート♪---
会津武士道 第二部 其の・・・いくつだっけw
さてさて、、
数多くの改革によって、200年後のうちらの生活が支えられているわけですね^^こりゃぁ感謝しなくっちゃ。
そして、田中玄宰は改革だけではなくひじょーーーに重要なことを行いました。
それは、
藩主の跡継ぎ問題です。
六代藩主・容住(かたおき)が藩主になって5ヶ月で病死、七代藩主・容衆(かたひろ)が急遽4歳で藩主に。容衆がまた病弱であったために、お家断絶の危機を感じた玄宰は、
水戸藩主の次男が奥女中に手を付けて子供が生まれた事を知り、その子を秘密裏に会津へ連れて来て、容住がなくなる前に、側室が懐妊していた、と幕府に届けておいたのです。
これが八代藩主・容敬(かたたか)です。
この危機管理がなければ幕末の会津藩は存在していなかったわけですね^^;
凄い人物ですw
というところで時間切れw
また明日^^