パール判決書 第二部 「侵略とは何か」その16
(G)考慮を要すると思われる事項
(7)背信的戦争
前回のおさらいから
国際法における宣戦布告については様々な意見があるようですが現実的には、宣戦布告の無い戦争は国際法違反とはならない、ということなんですね。
実際、宣戦布告がない戦争はありましたしそれが国際法違反となったこともなく、国際法のレベルに達していない事が明白になっています。
こうなってくると検察側が主張している事はことごとく却下されていることがわかるわけですが、もう一つだけ議論の余地があることがありまして。
それが今回の
背信的戦争でございます。
検察側の主張は、
被告が単に条約、協定、誓約や国際法に違反しているというだけでなく、そこに背信がある、ということなんです。
どういうことかというとですね、
この計画された戦争の全体的構想が、かような条約等に違反して行われる戦争として予定され、またかような条約等に違反して開始されるべきものと予定され、さらに他の関係国をして、戦争が上述のような性格のものでないと誤り信じさせるように予定されていたというのである
検察側に従えば、相手国に対して、同国に対する戦争遂行の企画を秘匿して、かような秘匿によってかような戦争の開始遂行を容易なるものにしようと意図していたことは上述の計画ないしは企画の不可欠の部分を占めていた、というのである
つまり、「国際社会の信頼関係を壊すために、国際法を無効化させるべくあらかじめ計画されていた。真珠湾攻撃によるだまし討ちはその象徴である」というのが検察側の主張なんですね。
これを国際社会に対する背信的戦争と位置付けたわけです。
これに対しパール判事は、
この問題には事実の問題、すなわち、はたしてかような背信が存在したか否かの問題が含まれている
としています。この点に関して、もし仮に背信があった場合は不法行為であることは疑いがない、と言っておられます。
国際法に対する挑戦は国際社会に対するテロといっても過言ではないわけですから、パール判事の主張はごもっともですね。
ただ、重ねて主張しているのは
戦争の背信的開始という事は、告知ないし宣戦布告のない戦争の開始ということとまったく異なるもの
ということなんですね。確かに、宣戦布告の有無が国際法に対する背信と断定出来るだけの根拠は薄いように思います。
更に検察側は、この背信という問題は心の中にあるのであるから、背信(行為)を見破られたからといってそれを消滅させる事は出来ない、と主張しているのですが、パール判事はこれを認めません。
裁判所が関心を有するのは、背信という心理的な不法行為ではなく、戦争の開始が背信的だということであって、したがってこの目的のもとにおいては、背信的企画を相手国に対して秘匿する事が出来たか否か、そして相手国がこの企画によって欺瞞されたか否かが重大な問題なのである
ややこしいところなんですが、
宣戦布告の有無は戦争の背信的開始とはまったく関係がないこと
背信行為は事実の問題であり、その目的が成功しているか否かが重大な問題である
この2つのことは違う事を指しています。ここは重要なポイントですね。
そしてもう1つ大事な事は
背信的な意図を持つに至ったことが犯罪だとすれば、相手国がこれを知っていたということは本問題に対してなんら重要な関係を有するものでないかもしれない。後に論ずるように、本官の意見ではかような性格を持つ単なる企図は国際生活上の犯罪ではない
ということです。
背信という意図や企図自体は犯罪ではなく、それを実行して初めて犯罪となるわけです。そして繰り返しになりますが、その実行と宣戦布告には関係がない。
まぁ、これは「殺してやる」と思うこと自体は犯罪じゃないっていうことと一緒ですね。
それが犯罪なら、うちなんかもう何百回も「殺してやる」思ってるわけで。。。w
今日はここまで~^^
次回はちょっとアタマひねらないといけないので、よ~くアタマを回して置いて下さいw
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