---本編スタート♪---
パール判決書 第二部 「侵略とは何か」 その5
(C)右の諸定義の承認に対する諸困難
さてさて、、、
いろいろな方が、侵略に対していろいろな定義というものを提唱されていましたが、
パール判事はこれらを実際承認していこうというとき若干の困難が発生する、ということを
言っています。
それはどういうことかというとですね、
ソ連とオランダは、この裁判における訴追国であると同時に、日本に対して自国側から宣戦布告を行ったということなんです。
まずなんといっても、「他国に対して宣戦布告を行ったものが侵略者」という定義にはどちらも抵触してしまいますよね。当たり前ですがw
では「自衛」という概念ではどうでしょう。ソ連の宣戦布告の日程は下記の通り
1945年
7月26日 日本の降伏を要求するポツダム宣言が発表された
8月 6日 日本は最初の原子爆弾攻撃を受けた
8月 8日 ソ連は日本に対し宣戦布告をした
8月10日 日本は降伏を申し出た
宣戦布告に際し、ソ連が出した声明
「『ヒトラー・ドイツ』の敗退、降伏の後、なお戦争を継続せんとする唯一の強国は日本だけである」
この声明はなんら「遅滞は危険なり」ということを言及しておらず、また実際のところ、
それは存在しなかったのである
つまり、自衛に迫られて戦争を遂行したのではない、ということですね。
まぁ、これは知らない人のほうが少ない事実です。
更に証拠が提出されています。
検察側は最終論告においてつぎのように述べている。
「連合国に対する公約を遵守し、ソビエト連邦はアメリカ合衆国ならびに大英帝国の要請に応じて、1945年8月9日侵略国日本に対し宣戦を布告、もって第二次世界大戦のいっそう速やかなる終結に寄与せり・・・」」と。
(ここで日にちが9日になっているのがなぜなのかはイマイチわかっていませんのでスルーしておきます)
このような証拠から、ソ連の宣戦布告ならびに対日戦争は連合諸国との間であらかじめ協定されていたものであり、そしてこれらの諸国は、すべてパリ条約の加盟国であった、ということがわかります。
これは本当におかしなことになってしまいます。
自衛の必要に迫られていない国がパリ条約加盟国の要請で戦争を開始した、ということですからね。連合諸国は侵略戦争を協定した、ということになっちゃうわけで。。。
おいおい。。。本末転倒だろそれ(ー_ー;
ということで、パール判事は、
本官はこれらの列強がことごとく犯罪行為に参加したと考えさせるような解釈を、同条約に与えてはいけないと考える
という捉え方をしています。
これはつまり、逆説的に日本も宣戦布告したことを持って侵略戦争を開始したとはいえない、ということになるわけですが、ここではそれに触れていません。
ここではただただ、この裁判では、パリ条約や「宣戦を布告した国が侵略者である」という定義ではない何がしかの定義によるべきである、ということを確認しているわけです。
ちょっと難しくなってきたのでここまでw
次回もうちょっとここを突っ込んでいきますw
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