みなさんおはようです^^
この時間しか書くときがないのか!?(--;
PSU、、、ギ・ディーガがついに21になりましたw(はえーな。。
地震兵器発動!!!w
なにがなんだか。。。。とにかくキョーレツにつおい、とだけいっておこうw
---本編スタート♪---
さてさて、今回は
会津藩は何故徳川一門なのか、という部分についてですw
興味のない人には全くカンケーのないハナシですね(--;
幕末の殿様は第九代松平容保公なのですが、初代は松平、ではなく
保科正之
という人物です。
この人が徳川家とどう繋がっていたか、というとですね(時間がなさげw
第二代将軍徳川秀忠の隠し子だったんです!
何故、側室の子ではなく隠し子だったのかというとですねぇ、
秀忠の妻は秀忠に側室を持たせない、という恐ろしい女せ、、、いやいや強い女性だったのですw
そんなわけで、大奥にて秀忠に見初められたお静の方は子供を身ごもり(一度目は堕胎してます)、ひっそりと子供を産むわけですね。
とわ言っても!
将軍様のお子様ですから、ぞんざいに扱うわけにもいかない。かといって秀忠が認知してしまったら暗殺されかねない!、
というわけでw
名門武田家の見性院(信玄の娘)のところへ行くことになります。ここで秀忠の妻お江与の方が横槍を入れてくるわけですが、見性院はこれをつっぱねます。。さすが名門w
しかし、困った事に男子の教育というものを考えるとここではちょっと心許ない、ということで、
武田家の忠臣中の忠臣、保科家へ養子に出される事になったのです。
と、、ここでお時間が来ましたwまた来週!(ぉw