みなさんおはようございます^^
昨日は新年会につきPSUはお休み。久しぶりにお酒飲んで酔いました( ̄ー ̄*
やはり話題は「白虎隊」のハナシになり、、、おとーさまがたは熱い!w
うちは黙って焼酎水割りをすすっておりましたw
話は変わって、K-1。
秋山が無期限出場停止、という追加処分を受ける事になりました。
これにより、グローブ疑惑はもみ消され、チャンピオンベルトの返上がないことからおそらく今年中にまた復活するものと思われます。
今回の追加処分は、ネット上のそちこちで炎上したことが一因となっているようで、特に桜庭ファンが頑張ったからのようですね。格闘技に一つの「武道」を求める感覚というのはやはり日本人独特の気質なのかな、と思ったりします。勿論、実際に武道やっている人から比べればその認識はまだまだなのでしょうが。
しかし、それでもK-1やTBSはグローブ疑惑をうやむやにしてますから、許せませんね。
特にヒドイのは、みのもんた。
以前、「朝ズバ」において桜庭に対して「これ以上追求しない方がいい」「決定を真摯に受け止めるべき」などと言って暗に秋山を擁護する発言を行っていました(しかし、真摯に受け止めるべきってそりゃ悪い事した方に言うべき言葉でしょw)。
どうやら、先日の「朝ズバ」においてまた問題発言があったようです。(未確認につき確認中)
「桜庭、言いたい事があるならはっきり言え」「結局この世は強いか弱いかなんだよ」
などなど。。。
言うなと言ったり言えと言ったり、、、、挙句の果てには弱肉強食ですか。。。
ならあんたは未来永劫、アメリカの文句言っちゃだめだなwww
人間というのは、心理状態が興奮すればするほど本来持っている心が出る、という性質を持っています。
結局彼は自分の主張を通すためには筋なんぞ二の次なのでしょう。こんな人間がちょっとお昼に人生相談をやって面白い事を言った、という程度で何となく信用してしまう、、、嫌な世の中ですね。。。
---本編スタート♪---
さてさて、、
保科正之公が江戸で将軍の補佐をしていたころ、
二十三年間もお殿様不在の会津では一体どうなっていたのでしょうか。
正之公時代に作られた制度があります。
社倉制度:これは備蓄米制度です。飢饉が来たら社倉を解放し領民に与え、次の年に二割の利子をつけて返せばよい、としたものです。しかも、もし次の年も飢饉なら返さなくても良い、という制度でした
年金制度:高齢者(90以上)には藩から米の支給が行われました。おそらく世界初の年金(米?w)制度と思われます。
救急医療制度:領内で倒れてる人がいたら必ず医者に見せるようにしろ、と命令したそうです。医者代がない場合、藩がその代金を払ったそうです。
その他、残酷な刑の廃止や、間引きの禁止などなど。
よく武士道というと、死を美化する精神、という誤解を持つ人がいます。それは葉隠にある「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という部分だけが誇張されてると思います。
武士道について書くととんでもない深い思想体系を広げないといけなくなるのでw、割愛しますが、少しだけ触れておくと、武士は自分の命を一体何に捧げるのか、が第一義なのであって命を粗末に考えたわけではないのです。
正之公の、殉死の禁止や残酷刑の廃止、その他もろもろの福祉政策を見ると、命を大事に使おう、という精神に満ち溢れている事がよく分かります。
そんな素晴らしい制度をいくつも作っていった会津ですが、将軍補佐として江戸に留まる間、会津では殿様不在だったわけです。
さぁ、だいじょぶなのか!?会津!!w
そこに、田中正玄(まさはる)という家老が登場します。元武田家の家臣の家柄でした。
この人は、非常によく正之公の考えを理解し正しく実行したことが知られています。後に田中玄宰(はるなか)という名宰相が登場します(これは後々またw)が、幕末まで続く忠臣中の忠臣のお家柄です。
当時、将軍家の老中から日本の名家老の三人に数えられたほどの人物でした。
正之公は、「自分が死んだら一時の悲しみで終わるが、正玄が死んだら当家の大患である」と言うほど信頼していたようです。
この二人三脚による藩の運営により、なんと会津藩は人口が増え続けて5万人弱も増えたといいますからすごい事ですw
10万人→15万人程度だそうですからとんでもない割合で増えてますねw
(って、、今現在より多いような気が・・・Orz
たとえお殿様が不在でも、しっかりと皆が藩を守る、そんな時代が会津にはあったのです^^
そして、時代が移り田中玄宰による藩政改革、、、のハナシはまた次の機会にでもw
第一部・完w