みなさんこんにちは^^
今回は
マヂアカデミックモード『哲学のお時間』です。
現状、
新型コロナが怖い!って思っている人たちは『見えないもの』『わからないこと』に対して恐怖を抱いているわけです。
いくらアタクシが「新型コロナは世界で1匹も見つかっていない!」と言っても、「見つかっていないだけで、いるかもしれないじゃないか!」と反論するわけです。
まぁ、、、ふつーに脳足りんなんだな、と思ってたんですが、
もう少し深いところで考えてみました。
そもそも人間は
見えないものに恐怖する唯一の生物
なんですね。
ちょっと大昔にタイムスリップしてみますと、
ヒトがヒトたる一方向を形成する前のヒトイゼンのときに雷が落ちるのを見て
「あれは一体誰がやってんだ?!」と思って山に調べに行ったわけです。ところが誰もいない。そこで気付いたのが「見えない誰かがやってるに違いない!それはきっと俺たちなんかよりスゴイ存在で恐ろしい存在なのだ!クワバラクワバラ!」ということになったんです。
それが宗教の始まりで、そこで初めてヒトイゼンは『見えないだけで、自分達より高位の絶対的な存在がいて、自分たちは相対的な存在に過ぎない』という地球生物史上(おそらく)初の『自分たちは相対的な存在に過ぎない』と自分を理解した生物となり、
信仰心が生まれて初めてヒトに進化したわけです。
なので、
『見えないものに恐怖するのが人間の証拠』ということなんですね。
そこでアタクシが「いやいやいや、その雷を落としてるヤツをきちんと見つけて更にちゃんと雷を落とすところを確認しなければそいつがいるってことの証明にはならんでしょ」などと言ったもんなら、
もう
「見えないからといっていないことの証明にはならん!」「こんなヤツは天罰喰らって死ねばいい!」ということになるわけです^^;
現代で言えば「コロナが見つかっていないからといっていないことの証明にはならん!」「こんなヤツはコロナに罹って死ねばいい!」と同じなんですね^^;
つまり、アタクシが指摘していることは、厳密には非人間的で冷酷な現実主義っていうやつで事実多くの人を恐怖に陥れているわけです。
嫌味で言ってるわけではなく、事実そうなんです!
ここで重要なのは、『見えないものに恐怖するのが人間の証拠』であり、
本質的には、新型コロナにビビって現実を見れなくなっちゃってる人のほうがより人間的である、ということなんですね。
そこは全くもってその通りだなと思ってます。
全然気にしない人っていうのは人間じゃないのかもしれませんw(え?!アタクシ?w
新型コロナにビビってるほうが人間的で、全然気にしない現実を見ている人は非人間的
ここまでが前提
哲学っていうのは、ではどうするべきかが出てこなければ意味が無いので、上の前提を元にもうちょっと考察してみます。
それはまた次回♪
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