みなさんこんにちは^^
今日は雪でしたが、たいして積もりもせず、、、^^;
でもちょっと寒くなってきたかなぁ。
寒いといえば、最近はせちがらい世の中になってきましたね。
「ハケンの品格」なんていうドラマで頑張れば一流のハケン社員になれるのよ、なぁんてバカげた啓蒙活動してますが、なんだか政府の回し者なのかと疑ってしまいます。。。
実際、ここ最近で正社員が300万人減って非正規社員が300万人増えたっていうから、もう所得格差はのっぴきならないのが現状です。
企業が堅調ってアンタそりゃ人件費カットしまくったら利益も出るだろうに(--;
これから就職するみなさん、とりあえず~なんて言ってられません!!
是非!正社員!もしくは公務員!もしくは手に職つける!!
も~これしかアリマセン><
---本編スタート♪---
さてさて、会津武士道 第二部 其の三 ですw
玄宰の改革案は熊本藩を見習っての改革であったため、容頌公はこれを拒否し、玄宰は家老職の辞職願いを出します。
一旦は慰留されるのですが、再度の辞職願いに容頌公もこれを了承しました。
そして、いつでも復帰できるようにと、家老職の次席に玄宰の席を用意しました。
そこから玄宰は、徹底して、
藩祖「保科正之公」の時代に編纂された書物
の研究を始めます。いわゆる【会津五部書】というものですね。
玉山講義附録
ニ程治教録
会津風土記
会津神社志
そして天明7年、ついに玄宰は復帰し、容頌公に建議書を提出することになります。2万8千字あまりの膨大な内容だったそうです。江戸に参勤中の容頌は一読してすぐに許可を出し、
ついに寛政の改革はスタートすることになります!
(ここで玄宰は決意も新たに、玄堅から玄宰へ名前を変えることになります)
さて、その寛政の改革の内容とはいかに!!??
それはまた後日w