みなさんおはようございます^^
昨日は大星霊で、何故か新年会が今日に延期!
とあらば徹底的にやらねば!!><b
というわけで一人もくもくと周回モードにwなつかしいなぁ、、、PSOのときも
やる気全開のときはひたすらソロでもくもく周回してたっけ( ̄- ̄;イイノカ?w
ナノレジン20、ナノカーボン5
なかなかの戦利品でございましたw
---本編スタート♪---
ではでは、続きをw
家光公との信頼関係を築きつつも、正之公は敬虔な神道派でした。神道の奥秘に達していた彼は礼節を重んじる性格もあって天皇家に非常に可愛がられました。
ここら辺から、会津藩の伝統となる「尊王」と「佐幕」という思想が確立されました。
しっかし、つくづく凄いなぁと思うのは、初代の正之公から九代容保公まで徹底してこの思想を継承していったことですw
会津人が非常に頑固で筋を通す主義なのは正之公から連綿と続く会津武士道によるものだろう、とある歴史が書いていましたがなるほど~と思えますね。
(ちなみにうちは厳密には会津人じゃないので頑固じゃないのですw
そして時は流れて、時代は家光から家綱へ。
家光公ご臨終の際、彼は正之公に後事を託します。
おまえには数多くの事をしてあげた。その恩忘れているまい。ならば、幼少の家綱をよろしく補佐してほしい。
この言葉に天命を感じた正之公は
なんと!
23年間も会津に帰らずに、将軍の補佐として江戸に在住することになります。
凄い忠勤ぶりだw
そして彼はそこで様々な偉業を成すわけです。
みなさんも、参勤交代はご存知でしょう。1年おきに江戸で勤める、その間妻子を人質とする、というあれです。その妻子を人質とする、という部分を正之公は廃止してしまいます。
それから、江戸が大火事になって天守閣が焼け落ちたとき、天守閣再建を反対した事でも有名です。なので、現在も東京の江戸城(現皇居)には天守閣がありません。
それから、殉死の禁止など。
おっと、時間だw
それでは次回はその23年間会津はどうなってたのよ!?というところをw