10ヶ月に及ぶ連載を最後まで読んでいただき、まず感謝を申し上げます。読み返しても分かるのですが、ガンコさが良く出てるなぁと自分でも苦笑いしてしまいます。
この物語を書くにあたっては勉強しながらという同時進行だったのですが、自分というのはとことん会津人だなと感じましたね。半分は江戸っ子なんですが。。。
会津の人は藩士じゃなけりゃ日新館には通ってないんですが、自分でも気づかずに「ならぬものはならぬ」と子供をしつけちゃう。よく、会津藩と町民農民は全然別の感覚があった、とか言う人がいますが、実際にうちのご先祖は油問屋だったとかでちょくちょくお城に出入りしてたらしいです。そんな人たちがいっぱいいるわけだから、お上と下々が乖離しているというのは、現代の感覚でしょうね。
だから、ともに戦った人もいるし、戦わなかったけど会津武士の意地を見て感じ入った人もいるわけで、こうして会津人にとって会津武士道は切っても切れないものになったんじゃないか、と思っています。
共同体というのはただそこに人がいっぱいいて交流があればよいわけではなく、なにがしか共有できる観念がなければなりません。そしてそれが歴史に根ざしたものであればそこに倫理や道徳が生まれる、それを実証する良い例だと思います。
そして、今回一番大事なことに気づきました。
自分にとっては、白虎隊は神風特攻隊に、会津戦争は大東亜戦争に、重なって見えているということです。多分、順序的には逆で、元々気づかぬうちに重ねて見ていたからこその連載だったんじゃないかなと思います。
現代人が大東亜戦争を振り返って、あそこでこうすれば、あれはやるべきじゃなかった、これは・・・・と、一生懸命自国の失敗を責めて自虐に陥るのと同様に、会津戦争の本を読んだらこれでもかというくらい会津の失敗や判断ミスを責める記述が多く辟易します。
前にも触れましたが、もっと早く降伏すればよかった、近代兵器の導入を早めればよかった、京都守護職を引き受けなければ良かった、新撰組を受け入れたのは間違いだった、武器を捨て絶対恭順すればよかった、会津には人材がいなかった、などなど。。。
今回の連載を読んでいただければ、それらの指摘がまったく意味のないことだと分かっていただけたのではないかな、と自負しております。
会津武士道があったればこそ、日本は帝国主義という荒波に翻弄されつつも大きく舵を誤らなかった、そう言ってもいいくらいの意義が会津戦争にはあったし、またその後の会津人は生き様でそれを証明してくれました。
ひとつ書いておかねばならぬことがあります。
西軍には西軍の物語がある、これは認めているということです。西郷隆盛の地元には彼を英雄として見る歴史物語があるでしょう。それと会津の歴史観が違うことは決して矛盾しない。大事なことは、お互いがその違いを認めることではないでしょうか。
決して価値相対主義に陥ることなく、お互いに譲れないものがある、と認め合うことがむしろお互いを理解することになる、そううちは思います。
さてさて、最後に
会津武士道は、命より大事なものは何か、という根源的なことを突きつけています。現代のこのただれた平和な世の中では命より大事なものなんてそうそう見つかりません。そこで開き直るかそれを恥と知るか、重要な分かれ目のように思えてなりません。
みなさんにとって、命より大事なものはありますか
と、締めくくらせていただきます。
平成19年11月ヴォー日