みなさんこんにちは^^
コロナ風邪については、多分これで最後。
最後を飾るに相応しいお題です。
風邪の哲学と宗教学です。
風邪ウィルスと人間は、何万年もの間ずっと闘い続けてきました。
風邪は、自らの種の保存のために1年のうちに何度も変異し、数年に1度は新型となり、人間の免疫機能に挑戦し続けました。
人間は、免疫機能の活性化及び向上によって侵入したウィルスを撃退し、より強い生命体へと進化し続けました。
しかし、何万年もこの状態が続いたことで、両者の関係は思ってもみない方向に進むことになりました。
毎年、2~3回ほどウィルスに感染することが人間の生涯における個体の強化に欠かせない要素となっていったわけです。
そして、
年を取り体が動かなくなっていったり、重い病に掛かり苦しい闘病生活をしていると、最後に風邪ウィルスによって命を奪われることは、人間の一生を決定づける重要な要素となりました。
これらを哲学的に考察すると、
風邪ウィルスは、人間の成長と健康のために存在しており、人生の最後に闘病生活から解放してくれる存在、ということになります。
人間が強く生きるためにはウィルスに感染することが重要であり、最後にそのウィルスによって人生を完成させられる、というのはとても興味深いテーマであるとアタクシは思います。
人間と食べ物の関係もこれに似ており、『全ての食べ物は毒である』ことからも、人間には毒が必要で、それが個体の強化に繋がり、最後に命を落とす、ということであります。
なので、
ウィルスを、人類の憎き敵と捉えるのは哲学的に間違っており、ウィルスと闘うのではなく共生していくことが肝要である、と言っていいでしょう。
これを宗教学的に考察すると、
ウィルスは神が遣わした天使だと言うことが出来ます。
何をバカな!
と言う人もいるでしょうが、それは宗教の勉強が足りないだけです。
我々の体をより強いものにしていくために、
神がウィルスを遣わして少しの毒を与えて少しの苦しみから体を強化させているわけです。
そして
最後に老いや病の苦しみから解放し、天国へ連れて行ってくれるのもウィルスです。
よく、お迎えが来た、と言いますが、それは正に天使でありウィルスである、と言って過言ではないでしょう。
と、いうわけで、
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(ないけどw
余談ですが、今回若い人たちが徹底的に予防策を講じたことが、何年か何十年か先の免疫機能低下に影響がない、と断言できる人はいないでしょう。
このままウィルスから逃げ続けてどこかでうっかり感染して即重篤化、なんてことがないことを祈ってはいますが。。。
それから、「誰かを殺してしまうかもしれないから」とか言ってるイっちゃってる人がいますが、
今このとき、本来であれば感染するはずだった自分が感染しなかったために、そのウィルスが他の人に感染してその人が死んでしまったとしたら、自分は間接的にその人を殺してることになるんですけどね^^;
それなら、自分がとっとと感染して家で死んでしまえば、代わりに感染する人を防げたかもしれないわけで。
自分が感染して誰かに移すことに道義的な責任があるというなら、自分が感染しないことによって代わりに誰かが感染することも道義的な責任があるでしょw
なんて、からかっちゃいけませんw
というわけで、おふざけし出すと止まらないのでここらでお開きb
コロナ風邪が結局大して流行しなかったこと自体は、死者が少なく穏やかな年で良かったとも言えますので、明日からはもうマスクを取っておいしい空気を一杯吸いましょう。
おわり
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