みなさんこんにちは^^
おかげさまで、パール判決書もやっと第一部ラストとなりました^^
ではさっそくいってみましょうか。
パール判決書
予備的法律問題 (I)個人責任
(5)国際生活における刑事責任の導入
パール判事は、国際生活に刑事責任を導入すること自体に疑問を感じていました。それは、戦争に敗れたものに対してのみ適用されるのは法律とは呼べず、またそのような方法では制止的と予防的の効果を期待できない、という理由です。
将来の戦勝者によって勝利の暁に、勝手に制定されるかもしれない規則に違反したために処罰されるという恐怖から、この規範の背後にある価値が認識され尊重されるようになることはまずあるまい
と推測しております。
同時に、予防的な効果という目的のためには、
不法行為をなした国家が、不法行為国家として処罰されて初めて処罰は効果的であることが出来るのである
と言っており、個人責任に無理やり持っていかなくても目的は果たされる事を主張しています。
次に、刑事責任を導入するこを正当化しうる理由として、
復讐の念についても論じています。これについては、本件に関する限り全ての人がこれを否定しており、これもまた
勝者が敗者に対して復讐の目的で刑事責任を問う事自体に倫理的根拠がない、と断じています。
そして、もう一つの理由として、
指導者らに刑事責任を課す事によって戦敗国民と戦勝国民との間の友好関係を増進させることに役立つのではないか、ということにも言及しています。
どういうことかというと、戦争を行使した人と一般国民を切り離すことによって一般国民には責任はない、だからこれからは仲良くしましょうね、という発想もあるわけです。これは実際、アメリカが日本に対して行った占領政策ですね。
これはある意味で、大成功を収めており、良かれ悪かれ戦後の日米関係は、、、少なくとも日本国民側はアメリカ大好きに転じたわけではあります。。。
しかし、パール判事はここに異を唱えます。
もし本件のような裁判の目的がかようなものであるとしたならば、戦争責任の所在を調査する査問委員会によっても、きわめて容易に同様の成果をあげることができたと思う。このような委員会は各国から派遣された資格のある裁判官をもって構成され、かれらの宣言するところはなんら不必要に法を曲げることなしに、所期の効果を生む事が出来たであろう。
これはまさしくその通りで、何も指導者らを処刑台に送らずとも目的は達成できるはずですね。それを強引に法を曲げて行ったのは、プロパガンダのそしりを逃れられないでしょう。
ここで一つうちから付け加えておきたいのは、
仮に、そのような目的つまり戦後の該当国民の友好関係を発展させるという理想が正しく美しいものだとしても、そのために指導者らの名誉が傷つけられるというのはいかがなものでしょうか。
実際、日本の指導者はそれを潔しとして処刑台に赴いたわけですが、対して国民の側はどうだったでしょうか。A級戦犯といえば単に日本を破滅に導いた悪人としか記憶しておらず、彼らの想いを少しも汲もうとしない態度、これが果たして正しく美しい理想といえるでしょうか。
ということです。人を犠牲にして自分が助かったのならそこに疚しさくらいは感じろと。そして尊い犠牲に対し少しは敬意を払えと。そんな風に思います。
と、いうわけで、
仮に戦争を犯罪だとしても、個人責任として刑事責任を導入する根拠はない、というのがパール判事の結論ということです。
ここでちょっと重要だな、と思うのは、
この裁判は確かに日本の指導者が起訴されているわけですが日本の国家としての行為が犯罪であるかどうか、が問われているということです。
戦争というものが犯罪である、と見なされなければ、個人責任もへったくれもないわけです。そして、少なくとも大東亜戦争開戦時には「戦争は犯罪ではなかった」というのが、パール判事の判決でありその点に関する限り、
論理的に
日本無罪論である、と言い切っていいと思います。
ではでは、第二部に続く
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